【世界のミンワから】第9回【あわれな悪魔】

このコラムについて

世界は物語であふれています。面白い話もあればつまらない話もあり、学びがある話もあれば、全く何のためにもならない話もあります。
そんな世界各地に伝わるミンワを紹介していきます。きっと何かが感じられるはずです。

昔、昔、ある村にお百姓がいました。
お百姓は一匹の牝牛を持っていました。

春になると、その牝牛を牧場に連れていって草を食べさせました。

そして
「神様、いつもわしらをお守りくださって、ありがとうございます。」
「今年もこの牝牛に草をたっぷり食べさせてやってくださいまし。」
と祈りました。

悪魔がそれを茂みの陰から聞いていました。
悪魔は癪(しゃく)に障りました。

「人間てやつは何でもうまくいくと神様にお礼を言う。」
「ところが悪くいくと決まって俺のせいにするんだからな。ちくしょうめ、見ていろ!」

それから2、3日たちました。

お百姓の牝牛が沼に落ちて出られなくなりました。
それを見るとお百姓は
「ひどいことしやがる。また悪魔のやつのいたずらだな。」
と怒りました。

「やっぱり俺の思っていた通りだ。」

悪魔は茂みの陰からつぶやきました。

お百姓は牝牛を引っ張り出すため、すぐさま手伝いの人を呼びに行きました。
その間に悪魔は茂みの後ろからそっと出てきて、牝牛を引っ張り上げておきました。

「今度こそ俺にもお礼を言われるだろう。」
とニコニコ顔です。

やがてお百姓が帰ってきました。
牝牛が岸に上がっているのを見ると、お百姓は大喜びで言いました。

「神様、牝牛を引っ張り上げてくださって、お礼を申し上げます。


スウェーデンのミンワです。

誰が何をするかはセットで考えられますが、
何よりも「誰」の方が大切だという典型的な話です。

人間には誰しも先入観というフィルターがあります。
神様であれば、きっといいことをしてくれるはずだし、
悪魔ならば、きっと悪いことをするに違いない、といった具合です。

ビジネスでも同様です。
飲み屋で会った胡散臭い兄ちゃんがどれだけ素晴らしいことを言ったとしても信じられないですし、
大成功をしたと言われる経営者の言葉は大したことを言っていなくても、きっと何かあると聞き手が自ら意味をくみ取ろうと考えてしまうものです。

「もしドラ」
の正式名称は「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」ですが、このタイトルも本当は別に誰がドラッカーの「マネジメント」を読んでもよかったはずなのに、女子高生にすることで、入りやすさや好感を得たというのは有名な話です。
ベストセラーになった要因の一つとして語られています。

ですが、本来は誰が言おうといいことはいいですし、悪いことは悪いと私は思います。

自分で考えることを放棄し、誰が言っているかという、誰かに判断を任せてしまっていると思います。
もちろん、誰が全く大切ではないわけではありません。
ですが、放っておくと人間は「誰」に注目しすぎてしまうような気がします。
なので、特に大切な判断をするときは、そういった先入観を排除した状態で情報を整理することが大切なのではないかと思うわけです。

物語では、悪魔は登場しますが、神様は最後まで登場しません。

肯定的な概念はたいてい、あまり登場しないものです。