ほんとうは教えたくない とうかいのいまはむかし-第6回

このコラムについて

ミンワとは泥や失敗やこっぱずかしさ、
カサブタやひだひだの一杯ついた本当の物語。
創業や商品開発、危機的状況を乗り越えるたびに新しく生まれています。
ミンワの新作は現代の企業における新しいミンワを紹介していきます。

毎週木曜日配信のミンワの新作「本当は教えたくないとうかいのいまはむかし」。前回の第三章の続きをお送りします。

第三章 独立後の挫折

次に約束をしていた里山の自宅へ向かう。鍋用の野菜を届けたのにトマトが足りず、店へ買いに戻ったことが思い出される。おそらくここも、結果は同じだろう。でも、行くしかない。
里山は久野をリビングに通し、ダイニングのいすを勧めると、温かなコーヒーを淹れてくれた。
「なかなか厳しいだろう、顧問契約は」
「はい。百貨店のブランドがなければ、自分には何にもないんだって思い知らされました。まだ実績は何もありませんが、最後にはきっとお役に立ちますんで!お願いできませんか」
「顧問契約って、いくらなの? 」
「え、あ、それはまだ決めてなくて…… 」
「ふーん、じゃあ、月に三万払うよ。どう? 」
「え…… 」
驚きのあまり、久野は言葉を失った。
「里山さん、本当ですか! いいんですか!ありがとう…… ござい…… ます」
そう言いながら、涙がこぼれた。コーヒーカップの花柄がにじんで見える。この一か月、苦しくてもずっとしまってあった思いがあふれた。久野は、その大きな手のひらで涙をぬぐった。
「絶対お役に立ちます。このご恩は必ず! 」
そう言って、何度も頭を下げた。玄関先では、「もういいよ」と言われるまで頭を下げ続けた。感謝してもしきれない思いだった。
がんばれば報われるかもしれない。外商営業として頑張ってきたことは何の後ろ盾にもならないとわかった今、何十件、何百件と訪問するしかない。
俺ならそれができる。あきらめかけていた社労士事務所としての将来に、ぱっと光が差した瞬間だった。

ただし、一件の契約が取れたからといって、会社が安泰になるはずもない。赤字は変わらないのだ。空振りのような営業を続ける日々だった。
次に顧問契約が決まったのは二か月目。たった一本のチノパンを購入するために、久野に何度も店と自宅を往復させた土田だった。当時の久野は、いじめじゃないかとすら思っていた。この人は、自分をストレスのはけ口にしているだけなのではないかと。
しかし土田も、里山同様に予想とは違う結果だった。
「月五万円で契約するよ」
その言葉を聞いたとき、久野は自分の耳を疑った。

本当に困った時に助けてくれる人は、百貨店の営業をしているだけではわからない。百貨店というブランドにいい顔をしている人がほとんどなのだ。
久野自身に何もなくなってから、こうして応援してくれる人がいる。助けてくれる人がいる。それは、すべてを捨ててみないと気が付かないのだと身に染みた。
それから、久野は息を吹き返した。先行きの見えない営業と、希望が持てる営業は違う。何十件も回れば、助けてくれる人がいる。そう信じることができてから、心が折れずに営業を続けることができた。
四か月経ったころ、顧問料として月に二十万円ほどの売上が確約されていた。それなら、この後もやっていける。目先の生活から、将来の成長へ舵を切ることができると久野は感じていた。


文 栃尾江美
絵 山本麻央