ほんとうは教えたくない とうかいのいまはむかし-第4回

このコラムについて

ミンワとは泥や失敗やこっぱずかしさ、
カサブタやひだひだの一杯ついた本当の物語。
創業や商品開発、危機的状況を乗り越えるたびに新しく生まれています。
ミンワの新作は現代の企業における新しいミンワを紹介していきます。

毎週木曜日配信のミンワの新作「本当は教えたくないとうかいのいまはむかし」。前回の第二章の続きをお送りします。

第二章 ただただがむしゃらに働く

会社に戻ろうと車に乗り込んだところで携帯電話が鳴った。別の担当顧客、里山だ。
「え、鍋?  野菜ですか?  八人のパーティ。ああ、はい。え、一時間後?ちょっと厳しいかもしれないですけど… … 。わかりました」
久野は百貨店に戻ると、急いで食品売り場へ向かう。
正直、里山のことは苦手だと感じていた。売り上げに大きく貢献してくれる寄川と違い、ほとんど大きな買い物をしない。自分が少額の商品をデリバリーするだけの小間使いとして使われている気がしていた。
里山の自宅へ着き、チャイムを押した。玄関先へ出てきた里山は三つの袋の中身を細かく確認した。
「あれ、トマトは? 」
里山は当然のように言う。
「鍋にトマトっていいるん… … ですか」
「ああ、久野ちゃんにはまだ言ってなかったか。うち、洋風鍋でさ。トマトは絶対入れるんだよね」
「そうなんですか。ええと」
「悪いけど持ってきてもらえるかな? 」
久野はもう一度店へ戻り、トマトを届けた。ほかの商品を提案する余裕もない。

「そうだな、あと一センチ短くしてもらえるかな」
別の担当顧客である土田がチノパンを購入するため、久野が土田の自宅へ訪れるのは三回目だった。一度目は気に入ったものがなく、二度目で購入するものが決まり、長さを詰めてから日を改めて三度目の訪問をしたのだった。
「まじかよ」
久野は心の中でそうつぶやき舌打ちをしたが、土田には少しおどけて見せる。
「あーっ!  本当ですか。うわーすいません。ちょっとお時間いただいちゃいますけど、もう一度詰めてからお持ちしますね」
面倒くさいが、仕方ない。久野は、顧客に頼まれればどんな小さなことでもやると決めたのだ。それが、ほかの営業担当との差別化になる。
実際に久野は、外商担当になってからぐんぐん頭角を現していた。
教養のある人たちの話題についていくために、終業後はカフェに寄り、毎日のように勉強をした。顧客に経営者が多いので、金融のこと、経営のこと、人事のこと。文化や芸術の分野も欠かせない。また、ほかの百貨店もよく回り、売れているものをチェックした。
一生懸命な姿に加え、持ち前の行動力と、相手の懐に入る屈託のなさ、それに若さ。さらに、目標にこだわる執念があった。
催事場では、例年にないやり方や、上司に言われていないことを実施すると煙たがられた。ところが、外商営業では自分のやり方でやるしかない。誰も教えてくれないし、誰も指示しない。売上目標が達成できればいいのだ。久野にはぴったりの職場だった
「今月、あと二百万足りないんだよな」
ある日の出勤時、ちょうど同僚に会った久野は、並んで歩きながらボソッと言った。
「そっかあ、あと五日じゃ無理だよなあ」
「いや、それはわからないだろ。行けるかもしれないじゃん。俺はやれるだけやるけどね」
久野はオフィスに着くなり、顧客リストをにらみながら手当たり次第に電話をかけ、早々に部屋を出ていった。
「なんであそこまでやるかね」同僚は、近くにいた後輩と苦笑いした。
売上目標が達成できなかったからといって、ペナルティがあるわけでもない。達成できたからと言って、そこまで大きなリターンが得られるわけでもない。ただただ、目標を達成するためにできることを全力でやる。久野はそのように働くのが好きなのだ。


文 栃尾江美
絵 山本麻央