ほんとうは教えたくない とうかいのいまはむかし-第3回

このコラムについて

ミンワとは泥や失敗やこっぱずかしさ、
カサブタやひだひだの一杯ついた本当の物語。
創業や商品開発、危機的状況を乗り越えるたびに新しく生まれています。
ミンワの新作は現代の企業における新しいミンワを紹介していきます。

毎週木曜日配信のミンワの新作「本当は教えたくないとうかいのいまはむかし」。前回の第一章の続きをお送りします。

第二章 ただただがむしゃらに働く

百貨店には、「外商顧客」というお得意様がいる。百貨店の売上の多くを担い、販売員が顧客の自宅まで商品を届けたり、特別なセールに呼ばれたりするのだ。久野は外商営業として、名古屋から車で三十分程度の小牧地区を担当していた。
「はい、久野です。ああ、寄川さん!  お世話になっております!  あ、今日ですか?  はいはい、手土産ですね。ああーなるほど。いくつか見繕ってお選びいただくようにしますね。はい、午後三時ごろ。承知いたしました。後ほどお伺いいたします」
オフィスで電話を受けていた久野は、ジャケットを掴んでせわしなく羽織ると、階段を駆け下り、洋菓子・和菓子コーナーへ速足で向かう。一八五センチメートルと背の高い久野が足早に歩いていると、売り場では目立つ。三~四箱の菓子折りを見繕った。
その後、久野は時計売り場にも寄り、いくつかの腕時計をピックアップしたあと、社用車で寄川の自宅へ向かう。
「ああ、早かったね。いつも助かるよ」
寄川は、久野を自宅玄関からリビングへ通し、見舞いに行くという友人のための手土産を選ぶ。
「洋菓子より、和菓子かな」そう言って、寄川はようかんの菓子折りを手に取った。
久野は選ばれなかった菓子折りを紙袋にしまいながら、寄川の左手首に光るロレックスをちらりと見る。
「あの、寄川さん、時計お好きでしたよね。もしかしたらこちらのブランドもお好きなんじゃないかと思ってお持ちしたんですけど、ご覧になりませんか? 」
「ああ、いいね。見せてよ」
久野はリビングテーブルにアクセサリートレーを置くと、寄川の好みに合いそうな腕時計を丁寧な手つきで並べた。
外商部門に来てから、ハイブランドのアイテムの載っている雑誌をこまめにチェックしてきた。
もちろん、時計の専門誌も片っ端から読んでいる。寄川の腕時計は以前から確認済みだった。今着けている時計がわかれば、次にどんなものが欲しくなるか予想がつく。それを先回りして提案するのだ。
久野は雑誌で得た情報をもとに、ブランドの伝統やこだわり、魅力を伝える。寄川は興味こそありそうに腕に着けてみるが、今は買う気がなさそうだ。久野はそれも織り込み済みだった。
ただ、ここで印象付けておけば、「ほしいもの」のひとつとして記憶に残るかもしれない。事業がうまくいったり、決算期の後で利益が出たりしたときに、ご褒美として購入してもらえればそれでいい。そう考えていた。
「なかなかいいじゃないか。まあ、何か理由がないとカミさんにグチグチ言われるから、いずれ」
寄川はにこやかに言う。いつも穏やかで、営業担当に対しても高圧的な態度はしない。
「ええ、もちろんです。何かを成し遂げた後や、ハレの場へ出るときの準備なんかいいですよね。それならきっと奥様も喜んでくださいますよ」
外商はこんなことの繰り返しだ。たくさん走り回って、かわいがってもらい、機会があれば高額な商品を買ってもらう。「別の百貨店で買うくらいなら、久野から買おう」と思ってもらえることが大切だ。
中小企業の社長をしている寄川は、先日も経営する会社のオフィスに飾るために数十万円の油絵を購入してくれたばかり。久野は寄川を「ありがたい顧客」とラベリングしていた。


文 栃尾江美
絵 山本麻央