ほんとうは教えたくない とうかいのいまはむかし-第1回

このコラムについて

ミンワとは泥や失敗やこっぱずかしさ、
カサブタやひだひだの一杯ついた本当の物語。
創業や商品開発、危機的状況を乗り越えるたびに新しく生まれています。
ミンワの新作は現代の企業における新しいミンワを紹介していきます。

プロローグ
「ああ、また辞めちゃったな……」
久野勝也は、革靴からスニーカーに履き替え、舗装されていない土の坂道を登りながらつぶやいた。もう夜の八時。あたりは真っ暗で、スマホのライト
で足元を照らさないと登れないような山道だ。
社員が辞めることは仕方ないと言い聞かせているが、やはりそれほど割り切れるものではない。
「なんでわかってくれないんだろう。会社の成長のためにはみんなで頑張らなきゃダメなのに……」
誰に言うでもなく、ぶつぶつとつぶやく。会社や顧客の成長のために社員が成長するのは、間違いなく正しいことだと思っていた。
久野は、朝から晩まで働いても苦にならないタイプだ。これぞと思ったことがあったら、がむしゃらに働く。もちろん辛いこともあるが、やるしかない
と思っているし、やらなければ成果が出ないと考えている。成長こそが、生きる意味だ。

辞めた社員の言葉を思い出す。
「新しいことばかりやっていて、私には付いていけないと思ったんです」
彼女は、次から次へと新しいことに手を出す久野に嫌気がさしていた。ただ安定した生活がしたいだけなのに、なぜ成果もはっきりしないチャレンジ
を続けなくてはいけないのか……。
久野は、自分の意に反して彼女の動きが遅いことに苛立ちを覚えていた。自分は社員の成長のためにいろいろな仕事を与えているし、自ら働く姿を見せてもいる。新しいことにチャンレジしなくては、成長なんてありえない。
なのに、社員には成長意欲がない。
「はあ、はあ」
普段は忙しく、なかなか運動に時間を割けない。「この山は白山といい、駐車場から十五分も歩けば頂上に着くほど小さいが、こうして歩くと息が上がる。
山を登りきると、白山神社が見えた。境内にある石のベンチに腰掛けると、鳥居の向こうに名古屋の夜景が見えた。久野はここでよく、考えごとをする。
「お客さんも、会社も成長するためには、社員が勉強して、成長しなくてはいけない。成長意欲のない社員はいらない。俺、間違ってないよな……」
彼は心の中でそう自分に言い聞かせた。


文 栃尾江美
絵 山本麻央