【ミンワ経営のすすめ】第1回「ナイキを支えた2人の日本人商社マン」

このコラムについて

創業時の物語、危機的状況を乗り越えた逆境の物語、商品やサービスが誕生したときのはじまりの物語、大切な社員たちとの出会いの物語。
私たちは、それらの物語を、企業という土地に根ざした民話(ミンワ)のようなものと考え、人材採用や育成、組織づくりさらには顧客との関係づくりを行っていくサービスを始めます。ミンワとは、みんなが自然に集まり、会社が大切にしているものを共有でき、共感できる焚火のようなものです。
オウンドメディア『ミンワのワ』とは、その焚火を囲むメディアです。「物語の力を学び、経営に活かす」こんなものが経営に関係あるのか?と疑問を抱くコンテンツも多々あると思います。でも騙されたと思って、まず一年間読み続けてください。きっと業績は向上します。なぜなら、経営とは物語の集まりなのです。

ウィンブルドン2018年が終わりました。
錦織圭選手の応援で毎晩眠れない日々が続いていましたが、やっと普通の生活に戻れそうです。
錦織圭選手の俊敏なフットワークを支えるナイキ。
今日は言わずと知れた超有名企業に語り継がれている物語です。

ナイキ創業者のフィル・ナイトが著した自伝本(シュー・ドッグ)にこうあります。
ナイキは日本のオニツカ(現アシックス)の販売代理店として創業し、会社を始めた当初は日本の靴メーカーが下請け製造を担いました。

創業期のナイキは、先行投資が大きく、常に資金がショートしていました。
それを助けたのが、日商岩井(現:双日)の皇(すめらぎ)さんです。資金繰りが大変なナイキのために、請求書をわざと遅らせるという手段をとるなどし、さまざまな面でナイキの資金を支えました。

そして、もう一人は伊藤さんという経理担当者です。
ナイキがメインバンクの貸し剥がしにあった際に、その相当額1.8億円を独断で融資します。
あまりに窮地に立たされていて、本社の決済を待つ時間すらなかったからです。
それによってナイキは倒産を免れました。
退職を覚悟して身辺整理していると、本社の経理担当取締役から電話があり、これでこそ商社マン「よくやった。」と褒められたそうです。

フィル・ナイトは、振り返っています。
「日商岩井がいたから私たちのビジネスはうまく行った。日商岩井はいつも、アグレッシブだった」と。
最も苦しい時期に資金面でも精神面でも支えてくれた日商岩井に対する感謝の気持ちは今でも大きく、ナイキの本社オフィスの中心部には、日商岩井日本庭園という場所があるほどです。

そして、これらの物語は、今でもナイキの社内で、語り継がれています。